about my spring

思考の通過点 / 19歳

映画レポ 〜『アリー・スター誕生』ほか2本〜

私は言語化することが好きなわりにめんどくさがりが勝ってなかなか長文を書くことをしないので、文章を書く練習として読んだ本や映画などの感想をちょっとずつでも書いていこうと思います。
最近Amazon prime videoで三本の映画を観たので、今回はその感想を軽く書きます。私は吹き替えが苦手なのですべて字幕で見てます。
①アリー・スター誕生(A Star Is Born)
愛を読むひと(The Reader)
最強のふたり(Intouchables)

※ゴリゴリネタバレなので注意


①アリー・スター誕生
面白かった!3本の中では一番心に残ってる。オセフンくんとすほちゃん(推し)が良かった、インスピレーションを受けたと言っていたので観たいと思ってたやつ。なんか、たしかに、KPOPの第一線で活躍し続けてる、正真正銘”スター”の彼らには共感しやすそうな作品だなあと思った。作中でも、これ一般人の私にもなるほど…と思えるけど、彼らにとったらまさに胸の中央に投げかけられたような気持ちになるんじゃないかなあと邪推できるようなセリフがいくつかあった。
ブラッドリー・クーパー演じるジャクソンはアル中の(ついでにドラッグも入ってる)有名ミュージシャンで、そんな彼はある日偶然訪れたバーでアリー(レディ・ガガ)に出会う。アリーは歌手になる夢を諦めかけていたけれどジャクソンはアリーの歌声を見初め、彼のライブの舞台にアリーを上げて歌わせたことがきっかけでアリーは一気にスターダムを駆け上がっていく。
物語の軸は急速にスターになっていくアリーとその陰でどんどんアルコールに溺れ落ちぶれていくジャクソンの、いわば明暗のコントラストで、二人の交わりと変化が一番の着目ポイントな気がした。アリーは一見輝かしい花道をまっしぐらで進んでいるように見えるが、ジャクソンがたびたび指摘していたように以前の彼女のスタイルから遠ざかってしまったような面もあるだろう。売れていく中で、自分のもとあった信念(アリーであれば歌、ジャクソンがアリーのデビュー(だっけ?)の際にアドバイスしたように「魂の歌を歌え」といったような点)を失っていき、マネージャーの指示で振り付けのある曲をコンセプト通りに着々とこなしていくようになる。映画の序盤でアリーは「私はダンスより歌よ」と言っているのに、デビューしてアルバムをバンバン売り出すようになってからは抵抗なくダンスの練習にも励むようになったり。作詞作曲の才があり、ジャクソンのライブで一緒に歌ったアリーの『shallow』という曲は心に深く響く普遍的な歌詞だったのに対し、デビュー後の曲は他の女性シンガーにもありがちな(?)ちょっと安っぽい歌詞をしていたり。そういう変化が見て取れる。ジャクソンは知り合った頃の、ダイヤモンドの原石のようなアリーの持つエネルギーや多才さに唯一無二の魅力を感じたのに、スターになってそれが失われていくのを見てがっかりしただろうし、憤りとか寂しさもあっただろう。ジャクソンはそういう忘失を危惧していたからこそ、アリーに魂の歌を歌い続けろと話したのである。そして自分の望まない形で有名になっていくアリーとは対照的にどんどん落ちぶれていくジャクソンの姿はかなり痛ましかった。同時に、芸能界ってこういう場所なんだろうなって。容赦の無い大衆と、怒涛の叫声の渦に巻き込まれながら、それでもその過酷な暴風を凌いで立ち続けなくてはいけない。それに耐え凌ぐ脚力を得るために、一体いくつ捨てるものがあるのだろうと考えてしまった。オセフンがこの映画を100回でも観た(もちろん誇張だけど)と言っていたのはそんな渦中を必死に生き抜く彼らに深い共感があったからだろうし、あの映画に覚える共感というものは、私にとっては少し怖く感じる。

『魂の底まで掘り下げなきゃ長続きしない。歌は正直なものだ。ウソは見抜かれる。取り繕えば、今はよくてもいつか客は離れてく。』
『だから手放すな。”なぜ”とか”いつまで”と心配せず歌えばいい。ただ魂の歌を』

アリーがファーストアルバムを出す直前にジャックが言った言葉。この映画の監督はジャック役も務めたブラッドリー・クーパーなんですが(すごい!)ちょうどアメリカの芸能界のど真ん中に生きているからこそのこのセリフ、このリアルさ…と思いました。

『この前バーで若者が彼の歌を歌ってた。あちこちでも聞く。最初は腹が立った。』
『多分思ったんだ、ジャックを知らないくせにと。本当のあいつを。だがある時から納得してる俺がいた。俺たちがやったことも無駄じゃなかったと。』

ジャックの兄がジャックの死後にアリーに言った言葉。これは、アイドルを推している私にもかなり響いた気がします。所詮オーディエンスは虚構としての彼らしか見えていなくて、それをこちらが全て知っているように勘違いするのは愚かだし、また彼らもこういう消費の対象である自身をある程度認める覚悟が必要なんだろうなと。その覚悟ってすごく怖いものだと思います。何でもかんでも自分の体験に重ねて共感するのはどうかと思うけれど、私は人に自身を決め付けられ、確定づけられる感覚がものすごく怖くて、過度に拒否感を抱いてしまう人間なので、心身の不可侵性が常に危険との瀬戸際に晒され続ける彼らのことを考えると、胸が痛くなります。

『ジャックが言ってた、音楽はオクターブの12音、その繰り返しだと。どの曲も結局は12音の繰り返しだ。永遠にな。アーティストの作る世界は12音をどう見るか、それに尽きると。』

こういうのは、パフォーマーとかアーティストとか、音楽を通して何かを表現しようとしてるオセフンにはより響くものが大きそうだな〜って思いました。名言がいっぱい。


『アリー・スター誕生』は、スターを中心にその生き様や葛藤を描いている映画なので、なんというかパワーがすごい。本当に表現者っていうのは、自分自身の魂や、精神を見つめ、削り続けて生きているんだなっていうのが、作品全体を通して強く感じられた。もちろん役者はみんなアリーたちのように表現者を生業としているわけで、当事者である彼らがこういうのを演じるとその緊張感に思わず震撼してしまう。
映画の流れとしては、一般人のアリーがジャックの舞台に上がってスターの芽を出すまでは長く描かれている割に、途中の〈スターダムを駆け上がるアリー〉と〈その裏で落ちぶれていくジャック〉の対比・確執の場面が短くて過程部分の描写が薄く感じたので、そこもじっくり観たかったなと思った。でも、アリーのスター人生の始点は〈ジャックに手を引かれ舞台で一緒に『shallow』を歌った〉ところであり、対してジャックの人生の終点は〈アリーにライブで一緒に『shallow』を歌おうと誘われた〉ところであるというのが対比になっていて、そこは面白かった。実際、ジャックはライブには行かずに自殺してしまうんだけど、アリーとジャック、相手の手を引く立場が最後では逆転していたのが、残酷ではあるけれど二人の間における変化の顛末を綺麗に表現できていてよかった。(と私は思いました)

そうはいってもやっぱりこの映画の最大の魅力というのは、「「「「歌」」」」に尽きると思う。本当に本当に歌、すごい。主演の二人の表現力が尋常じゃないし、レディ・ガガが歌うシーンはまばたきもしたくないと思うくらい魅了された。正直洋楽全く興味なかったし、レディガガに関しては真っ先に出てくるイメージは瞼に書いた目ですってくらい知らなかったんだけど、この映画を見て震えた。このパワーをこの魂の歌を知らないまま死ななくて良かったと思うくらいには良かった。もうこれだけで見る価値ある。一番最後のアリーの表情、走馬灯に流れてきそうなくらい衝撃すごい。
ジャックの飲んだくれが酷すぎて、こんなジャックを最後まで許して愛し続けるアリーなぜ…?とか思っていたんだけど、ジャックはアリーの人生を拓いた、ある意味では第二の生みの親的な存在でもあるのかな。そして最後の、ジャックがアリーに書いたラブソング聴いたら、ジャックがアリーにどれほど心から惹かれ、愛していたかもわかってしまった。あんなラブソング書けるの、本当にすごい。すごいしか語彙出てこない。絶対聴いてほしい。
なぜ二人がこれほど惹かれ合ったのか、二人の関係性の変化と対比、そういうのがもっと見たかったな…と思ったのは失望ではなく、この映画に魅せられたからこその欲でもあるのだと思う。


愛を読むひと

これに関しては、深かったけど、アマプラの一番上に載ってる評価が結構多くを読み解いていて、私の言えることは何もない(笑)
教養とは、教育とはどういうものなのか、をじわじわと考えさせられる話。ハンナが刑務所で文字を覚え、書物を読めるようになってやっと、自分の犯した罪の重さを認識できるようになったのだ、という考察には納得させられた。適切な教育がなされず、道徳的な理性が育たなかったハンナには絶望感に近い悲しみを覚える。教会で子供達の賛美歌を聴きながら泣いてたのも、彼女にはそうするしかできなかったんだなと思うとなんかほんとに絶望的な気分になる。文字が読めないことを強く恥じている姿、なぜ裁判にかけられているのか、自分の犯したことはどういう意味で罪深いのかを理解できない(人を大量に殺してしまったことの罪悪感は持っているけれど、感覚だけで、理性的な詰め寄りはできない)表情、そういうのを主演のケイト・ウィンスレットは上手く演じ切ってるなあと思った。なんの予備知識もなくただの恋愛映画だと思って観たから、ホロコーストに絡められたもっと多角的な映画だと知って驚いたしその分満足感がある。映画初心者だから、映画ってその国の価値観・歴史観をモロに反映するんだなと知って感心してる。これからもいっぱい映画を観ようと思います(浅)
とにかく、良かった。名作ってこういうもの…という感じ。


最強のふたり

三本の中では一番見応えが薄かったなとは思った。でも楽しく観れるし、〈境遇が全く違うのに相性の良いふたり〉みたいな気分の良くなる友情物語好きな人にはいいと思う。実在するふたりを基にした映画らしく、実在の”ドリス”であるアブデルさんはアルジェリア人だが黒人ではなくアラブ系移民(らしい)。なんか、フランス人の価値観的に、アブデルさんのポジションをドリスみたいなアフリカ系黒人に変えて描いたのは、”最強の友情”と銘打つ上で効果的だからだろうかとか思った。白人と黒人の間の絆というのが”友情”により説得力を持たせてる?みたいな…だとしたらちょっと皮肉っぽいよね。


だんだん疲れてきて書くのがあからさまに雑になってしまいました。頑張れ。
本の感想も書こうかと思ったけど何も考えられなそうだから次に回します。
体力つけたいし、遅筆直したい。もっといろんな映画や本に触れなきゃと思うんだけど、なんか、数が膨大すぎてその中から選ぶのすごい疲れる。どうせ私は一生かけてもこの世に存在する本や映画や漫画や音楽や演劇のすべてに目を通すことはできないし、そんなのどうしたって仕方がないことなのに無力感を感じる。
そして書いたあといつも自分の知見の浅さや言語運用能力の無さに悲しくなる。
あ、あと映画についてゆっくり考える前に他の人の感想や考察をみるのはやめようという教訓を得ました。他の人の意見を摂取するとそれ以上のことを考えづらくなった。
これはSNSにも同様のことが言えると思っていて、SNSって基本的にはピュアな情報じゃなくその情報に他人の意見や感情が上乗せされた状態のものが流れてくるから、その危険性なんかに気付かずにSNSを情報媒体として扱っていると自身の感覚や思考というのがどんどん他者のそれに侵食されてしまいそうな気がしてる。実際同調を生みやすいシステムではあるしエモとか映えとかそういう量産的な価値観が生まれたのもそういう特徴によるものかなって。
話が飛びまくるの、ADHDみが強すぎる。。。
もうほんとにおしまいです。


おわり