二つの世界
人間、苦しまなくていいはずなのに、
苦しもうとしてしまう
苦しんでいないとやわな感じがしてしまう
苦しんだって生まれるものは何もないのに
異世界交流
世の中には一切関わることなく死んでいく二つの世界があることに苦しくなる、
けどなぜ苦しくなるのかわからない
世界を交えようとしてもう一つの世界を覗く、
そして苦しくなる当然に
その時間は無駄だろうか
その時間をもつのはわたしだけだろうか
二つの世界はわたしの中にしかないのか
苦しんだって生まれるものは何もないのだろうか
生まれるってなんだろう
世界に認められること
自分に認められること
生まれてるのにまだ意味をもたないものしかない
自分の生活圏と自分の精神の安寧圏の齟齬
(わたしにとって)表層的で文学がなくて 静謐で孤独で恍惚で
文学がある世界とない世界を生きている、
ない世界はわたしにとって厳しすぎる 鋭くて無防備で精神がやつれていく 削がれていく
文学のある世界に生きていたい 浸りたい
絶対に浸る
その意思がある
2025/09/13
苦悩
やるべきことを後回しにする。「今この瞬間」に自分の快楽や気分を最優先にしてしまう。計画性がない。コツコツやらないとダメなところをいつもなんとなく認識していながらなぜかいつも直前まで放置する。そして直前になって焦る。間に合わないことに気づく。無理やり間に合わせる、間に合わない、半々か後者が多いくらい。
落ち着きがない。思考が絡まりやすい。文章を集中して読めない。すぐに違うことに気が散る。違うことを思いつきで始める。自分が今一番やりたいことじゃない限り、無限に意識が散っていく。そもそもやるべきことがわからない。方針が定まらない。何をすればいいのか悩みあぐねる。求められるレベルが高度で内容が難しければ難しいほど混乱しどう結論づけるべきかわからなくなり、何をすればいいか見失い、「むりだ」の結論が出る。そこで停止する。もっとやりようはあるはずなのに。
授業に行けない。高校の頃から癖付いている。怠惰すぎる。動けない。体が動かない。気持ちが動かない。重力に負ける。意志や強制力に負ける。置いていかれる。何も知らない。
条件をよく読まない、内容をちゃんと確認しない。読んでいたつもりでも思い込みや勘違いをしていて直前やもう間に合わない頃になって気付く。
公的手続きや支払いや本の返却がいつも遅延。後払い延滞で次の購入のとき後払いサービス利用できなかったり、本借りたくて切羽詰まってても罰則期間で借りられなかったり、手続きや支払いの遅延で余計な追加手続き・手数料が増える。
単位とれない。そのわりにプライド高くて認知されてる先生に落胆されたり呆れられたりすることが怖く、屈辱的だと感じる。愚か者。自分のせい。全部自分のせい。
自分が自分の足を引っ張る感覚。自分が信用できない感覚。自分を一番絶望させるのはいつも自分だというやりきれなさ。無力感。苦しさ。情けなさ。
自分が信用できない人は他人からの信用も担保できない。確信のある約束ができない。「私を信じて」と言うことができない。
苦しい。そういう苦悩。逃げ癖。逃げるな。自分の好きなことからは逃げないで。これはあなたに言ってるんだよ。約束ができないから祈るしかできない。自分についても祈ることしかできない。変な話。自己実現なんて存在しない。それは強者の理論。持つべきものをすべて持った人が自己の受益性に思い至らず吐く言葉。私がもつ呪いの言葉。自分の力で努力し、勝ち取り、切り開くことを教えられてきた中高の教育の中で、なんども刷り込まれてきた信念。
私はそれに支えられることもある。でも同じくらい殴られたこともある。味方のようで味方ではない、その功罪を、真理を、私はまだわかっていない。
いつか自分なりのかけ声を見つけたい。
自己実現の言葉に励まされて「成功」したら、私はきっと何もその言葉について解さなくなるだろう。
深いことを顧慮しなくなるだろう。裏切られた人々を忘れてしまうだろう。呪いを肯定するだろう。
そうはなりたくない。
自分がそうなったことの恩恵や受益性を重要視し、その信念にかんしては、そうではない、それは真理ではないし真理らしいものを何も示すものではない、と言い切れるようになりたい。
自分が結局死んでしまったら、それは私を助けてくれるものが、もう何もなくなってしまったということ。
あるいは、社会的に「成功」していなくとも、そうではない何か別の価値に、到達できていたらいいな。
私と受験 大きな後悔
2025/07/21
これは多分一昨年(!)の1月ごろに書いたもので、次の投稿に必要になるからこれも投稿することにした。
・・・・・・・・・
1月13日、14日。このごろは共通テストの時期だ。今日、最寄りの地下鉄駅に向かう途中で「令和六年度 大学入学共通テスト試験会場」の文字を目にした。アパートの目の前にある女子大の校門に建てられていた看板である。
もう試験を受ける立場じゃないのに、去年のこの日の感情が胸にありありと浮かんでくる。ひどく張り詰めて、それでも必死に静寂を保とうとした私の胸中は8年前、中学受験の朝にも通ずる。
朝は母が作ってくれた和食を食べて家を出た。浦和明の星の受験日の朝は鮭で、去年と一昨年はよく覚えていないけどとりあえず和食だった。現役の共通テストのお昼ご飯は母が作ったお弁当だった。(たしか)木製の曲げわっぱのお弁当箱で、(たしか)量が多くて残した。このお弁当箱は(たしか)雙葉の受験日にも使われた。雙葉受験は大失敗して、何より面接が大大大失敗に終わって、記憶は闇に葬られた。「面接官と意思疎通できなかった」ことが大きなトラウマになったんだったけれど、今思い返せばそんなに大した恐怖でもないなと思う。この記憶は私の中で瘡蓋になり、表皮に覆われ皮膚になって、完全に回復されたようである。
回復していない後悔がまだある。去年の大学受験を私は今になって本当に後悔している。
思い返してみればどうしようもないことなんだけど、この後悔は今になってしかできないことなんだけれど、やっぱり京大を受ければよかった。北大にきて何度もそう思った。
共通テストの結果が、北大を受けるには十分だけど京大を受けるには不十分、という感じで、受験勉強をすることに限界を感じていた私は京大を受験する勇気が持てず北大に出願した。とにかく二浪はしたくない、とにかくどこか大学に行きたい。多分当時はそういう気持ちしかなかった。早稲田の勉強はしていなかったから受かることは想定していなかったし、後期北大の対策もしたことがない&小論文は絶対苦手だからこれも受かる想定はなかった。早稲田も後期北大も落ちたら二浪することになるけど、二浪はさすがに怖い。そういう心情だった。
塾の先生には、北大は受かると思うから京大チャレンジしてみなよ、と言われた。さっき母とのSMSを見返していたら母からは私立に受かりそうなら京大挑戦してみてもいいんじゃない、と言われていた。私の周りはみんな私の力を信じて、挑戦することを勧めてくれていたのに、私は自分の力を知らなくて、信じられなくて、最悪の想定をして、挑戦を避けた。安定へ走った。それが不正解だったとは言わないし、一概に逃げと言って否定するのも違う。でも実際は、(当時の私の勝手な想定に反して)早稲田も北大も結構余裕で合格できていたし、自分の力を正確に知ることができていなかったな、と思う。とくに浪人は、決定権がかなりの割合で自分にあるから(現役だったら、より多くの人の叱咤激励や、運とか勢いに任せた判断も可能なはずだ)、そんな状態にいた私は臆病な独断で積極的に挑戦を避けた。
京大を受けていたら多分絶対落ちたと思う。共テが終わってから二次までの一ヶ月間、あのプレッシャーの中集中して勉強できたわけもないと、当時の私の状態に鑑みると思う。準備が圧倒的に不足していたし、そのために実力が足りなかった。浪人一年をかけても目標までに到達できなかった、当時の私の精神的限界と未熟さのせいだろう。
自分の怠慢にはずっと嫌気がさしているけど、その点に後悔はそこまでない。これは自分の特性だし、経験の問題もあるし、未熟さを嘆いたって仕方がないと思うから。
それに、幸いにも私がしたかったことは、どの学校でもできることだ。だから大事なのは「生活環境」になってくる。その点で北大にはなんの不足もなかった。
京大に行ったら大学ブランドのおかげで常時華やいだ気分に浸れたのかもしれない。だけど欠点はそのくらいだろう。
私が後悔してるのは、やっぱり、「挑戦しなかったこと」だ。京大にそこまで未練はないけど(だって札幌の方が多分京都よりずっと住みやすいし気候は良いし人は少ないし道は広いし雪は綺麗だし)、失敗してもいいから京大を受ける、それをしなかったことには未練がある。
この悔しさをバネに、あとの人生頑張ろう。
人を信じるということ
誰かを信じるのが怖いなと思う。
誰か、と特別な信頼関係を築くのが難しいと思う。
私は人をみるセンスがないなと思う。
私が信じて、”とくべつ”親しくなり、尽くしたいと思った人は、だいたい私を消費する人だった。(だいたい、というのは言い過ぎかもね)
高校一年生の頃一番仲の良かったあの子。
苦楽も辛酸も共にする文化祭実行委員の中でも、経緯はよく覚えていないけど、とくべつ親しんだ同輩だった。
親しむのにはいつも条件がある。大体そうなる子は、会話が楽しい。同じくらい賢くて、発話と応答のテンポが合うのだ。だからかなりの速さで仲良くなる。急速に近づく。それは運命的なものだと思っていた。本能的に合う相性とかいうものだと思っていた。
実際はそうじゃないみたい。相性っていうのは私にとっては決裂の合図だ。はじめはピンと来ていなくて、別にその子じゃなくってもいいはずで、テンポも生きる世界線もほんのちょっと違う、そういう子のほうが時間をかけて、理性的に関わりあえるのだ。私の周りにいま残っている大切な友達は、みんな時間をかけて「大切になった」子たちである。
話が脱線したけれど、高一から高二にかけて、多分一番仲のよかったその子は、実は虚言癖で、私は最終その子にお金を騙し取られるところまでいった。二千円だか三千円だか、一回のバイトで回収できるごく僅少なお金と、人への信頼の心がもぎとられた。
虚言癖には多分深刻な成り立ちがある。環境かもしれないし、人格的な問題が作用しているのかもしれない、それは私にはわからないけれど、とにかく彼女から感じたのは「自己の危機的な欠乏感」だ。
彼女には何かが足りなかった。彼女自身では満たせない何か致命的な欠乏を、だから人で埋めようとしたのである。私はそれに使われた。消費され、利用され、摩耗されたと感じる。その時は気付けなかった。ただ本当に家庭環境が最悪で、深い傷を負っていて、寂しくて、悲しくて、頼る人もいない、抱え込みやすい独特な子なのだと思っていた。私は弱っている人とか困っている人を放っておけないタチなので(自分でこれを言うのはなんか自己陶酔的で恥ずかしいけれども)、その子のことを多分その子の周囲にいる人の中で一番甲斐甲斐しく取りあった。良いカモである。こいつが一番騙せそう、とでも思われていたのかもしれない。
彼女のあらゆる嘘にやっと気付いたとき、私はだいぶ気が強いのでかなり激怒したし、めちゃくちゃクリティカルに問い詰めたし、みんなに言って回ったし、絶対許さない、あんな奴いつか救いようない地獄を見て死ぬほど苦しめばいいって本気で思ったけど、今思い返したとき胸のうちに浮かぶ心象は、数々の違和感を暴いた爽快感でも烈しく怒った記憶でもなく、文化祭前夜最寄の日高屋で語り合ったあの時の途方もない充足感と、彼女を信じていた頃の無垢な私の姿なのだ。
そうしてそれらの思い出が、感情が、信じた存在の瓦解によって、屈託ない姿のまま無意味を宣告されるのを、いまこの胸に受け止めるほかやりようがないのだ。
人を信じるという行為に関してだけは、私は赤ちゃんのままで止まっているように思う。
中三の頃仲良くなったあの子。すっごく顔が可愛くて、タイプだった。LINEのトプ画を保存していた。
女子校では同輩(や後輩、先輩でも)に推しを作る文化があったので、私も彼女のことを推しと呼んだ。
それを伝えたらすぐに仲良くなってくれて、二人で遊びに行くようにもなった。でもだんだんその会話に疲れてきた。
私が持ち上げすぎ、褒めすぎというのはあったと思う。コミュニケーションの失敗だった。
その子もまた、少し偏屈な形の自己愛を持っていて、無条件肯定マンだった私に対して、自分の話ばっかりするようになってしまった。会話や態度の節々に自慢とか、自己顕示とか、承認欲求が見え隠れして、私は単なるその捌け口でしかなくなってしまい、かなり疲れた。その後距離をとった。(彼女の独特な自己愛については、私よりも付き合いの長い友達からも共感を得られたりしたし、まあ色々あって承認欲求の強い子というのはある程度事実と思う。)
去年付き合った元彼。こいつも推しだった。ほんとに好きだった。タイプだった。でも付き合ってわかったのは、彼はとにかく自己肯定感が低くて、孤独への恐怖や自分に対する確信度の低さを、他人を使ってしか補填できないタイプだったということだ。
まーーーーーじで疲れた。私の時間と労力と気力を返してほしい。
いまだにイライラする。なんで私があんなに責められなきゃいけなかったんだろう。なんで私は人を愛する能力のない欠陥者みたいに自分を思い込まなきゃいけなかったんだろう。なんで私はクズみたいなあいつの言動にたいして一人で抱え込んで、苦しんで、それを受け止める自分の内面的未熟さとして馬鹿正直に反省していたんだろう。
絶対そんなことなかった。本当にほんっとうに、承認欲求モンスターだったし、他人本位だったし、満たされない自己肯定感や孤独感を他人によってなんとか満たそうとするとんでもない奴だった。
ショックなのは私が信じた(この人だ!と思った)人がそんな感じだったこと、その人と付き合っているあいだは虚言癖の元友達を信じていた時と同じように、気持ちをその人に傾けて、真剣に取り合って、解決しようと努めていたことだ。その頑張りが、ただの精神的な搾取でしかないことも知らずに。
もう苦しみたくない。私は自信がなくて、生きづらそうにしていて、自己肯定感の低い子を見るとなんとかしてあげたくなってしまう。褒めて、自信持ってあなたは良いところあるよって言いたくなるし、苦しまないでほしいと願うし、そのために真面目に相手にとりあってしまう。
そうしてあげないといつかその子がなくなってしまうかもしれないと思うし、人が苦しんでいるところを見るのは嫌だし、私の言葉ひとつで少しでもその子が前を向けるならなんて安いものなんだと思ってしまう。
本当の意味で人を救うやり方がわからない。私は救っているつもりでいて、いつも蟻地獄の中へ自分から足を突っ込んでいるだけなのだ。
そして自分が、そういういまいち自信のないタイプと、親和性が高いことにも嫌気がさしてしまう。
私が親和性として感じとっているものの正体は、たんなる搾取の装置か、成果物の一部でしかないのかもしれない。
親和性を感じた人に対して、自分のこういう経験則から、近づく前に距離を取らなければいけないと感じることがつらい。あなたはもしかしたらそうじゃないかもしれないのに、と思う。
だけどまた、やっぱり「そう」だったとき、私は自分が摩耗されることから逃げるために、あなたをここで避けなきゃいけないんでしょう。
先のことはわからない。先見の明がない私の目を、節穴っていうのかもしれないし、見る目がないとか、メンヘラ製造機とか、ダメ人間ホイホイとかいうのかもしれない。
自分だって十分ダメな人間なのに、こんなんじゃやっていけないね。
それか、ダメ人間だから、類は友を呼んで、ダメ人間が寄ってくるのかな。
ちょっと眠くてよくわからなくなってきたけど、とりあえず、最近また私はこういうことに悩み始めた。
人と出会う季節は、同時に悩む季節なのだ。
2024/07/29
豊かさ
2024年4月頭のメモ
高校の頃すごく仲の良かった友達がいた。その子と話すと面白くて楽しくてとっても笑えて、その子にとって私は何人かいる友達のうちの一人だったかもしれないけど、私にとっては彼女は貴重な友達の一人だった。
私はこういうふうに文章を感傷的にするのは好きじゃない。
久々にその人と遊んだ。かなり変わっていた。私も変わったと思うし、実はその人はたいして変わってないかもしれない。
ちょっとずつお互いが形を変えれば簡単に合わなくなる。
大学に入ってしばらく連絡をとってなかったけど、いつか旅行に行こうとはずっと言っていた。お互い一年の浪人を経て2年越しにがっつり遊ぶ機会だった。
その子は学費が高い私立医学部として常に上位3位以内には名前が上がるくらいの大学に進学した。つまり日本でトップレベルのお金持ち大学で、やっぱり入って来る子の経済的豊かさはレベルが違うらしい。「そんな暮らしをしてる人がほんとにいるんだ」って思うような同学の子の話を何個も聞かされた。(私が積極的に聞き出したのである。)
大学に入って、みんなちょっとずつ高校時代とは変わったな、と思うことがあるけど、その子も環境の変化を受けているみたいだった。香水とか車とか服とか遊びとか一人暮らし事情とか、会話に出てくる話題の枝葉末節から価値観のずれを感じた。
その子は大学に入って毎日のように遊んでいるみたいで、麻雀にダーツにビリヤードにパチスロにクラブにマリンスポーツに、大学生のしうる娯楽をことごとくやりこんでいる。
バイト先の病院で勝手に非常階段に入り、いただいた手術用手袋を意味もなく頭に被り破壊して笑う(怒られた)、ゴミ出し用に屋外へ出された段ボールの中に勝手に物を捨てる(あのままでは業者はとても段ボールを回収できないだろう)、深夜も深夜、隣の部屋の住人に騒音で迷惑をかけていても、注意されても反省もせず、むしろ怒らせたことをみんなで面白がっている、禁止されているのに学校へ車で登校して近くの役場やコンビニの駐車場に長時間駐車する(これも注意されて禁止されたらしい)、ご飯を当たり前に残す…
「世のお金持ちっていうのは、大体こんな感じなんだろうな」というのを、その人からありありと感じた。
要領が良くて、賢くて、現実主義的で、遊びと人間関係で人生を豊かにする術を知っている。レトロなレコードで雰囲気の良い音楽を聴くのが好き、そういったおしゃれな空間を嗜むことができる。仕事は、社会的地位と高収入を得るためのものそれ以上でもそれ以下でもない。大学は研究するための場所ではなく、中高じゃ出会えなかったような種類の人たちと関係を持ち、コミュニケーション能力を伸ばしたりまったく新鮮なアクティビティを体験したりするための場所。料理の付け合わせは食事中に食べるものであって、メインディッシュを食べ終えた時点でそれが残っていればそのままにする、満足した分だけ食べていらない分は残すのが普通。遊びも(単位が取れる分の)勉強も部活動も読書も全て卒なくこなして、「時間がなくてできない」とかがない。時間を作るのがうまい。
(比べるのも愚かなことだと思うけれど、)一方の私は、要領が悪くて複雑なことを考えると頭が混乱して、妄想や空想をするのが好きで現実よりも夢の中の世界に生きたいと思ってる。勝敗がつく勝負や賭け事になぜだか夢中になれなくて、麻雀もビリヤードもダーツも本当の楽しさはよくわからない。レコードで聴く音楽の良さや嗜み方も今のところあまりわからなくて、それよりも一言でなぜか胸を突かれるような素朴で切実な歌が好き。人間関係はとても苦手、表面的なふざけとかただ騒いでるだけ・突飛な言動をしてるだけみたいなコミュニケーションはあまり楽しめなくて、ウィットに富んだ冗談やブラックジョークが面白い。どんどん現実にはない世界線の話に入り込んだり人の内面や物事の関係性について分析したりするのが楽しい。仕事にやりがいとか大義を求めている。大学は大人であり子供である大学生が飲んで遊んで人生の夏休みを謳歌する場所ではなくて、研究や学業のための場所だと思っていたし、ご飯は美味しければ余すことなく平らげてしまう。残すのは勿体無いし、罪悪感があって多少お腹がいっぱいでも全部食べようとする。理想はいっぱいあるのに、結局不器用で怠惰で色々手一杯になり、やりたいことの半分もできていない気がする。
自分が明らかに経済的豊かさを得る人種と相反している特徴をもっている。それも多分苦しい。
悩ましいのは、多分どちらも間違いではないことだ。
思索、想像、空想、理想、そういうものが人間の本質だと言う人もいる。
一方で、人生をうまく生きていくためには現実主義が必要だ。不正義だとしても合理的で実利的で即断的な反応が、人生を前に上に導いてくれる。それどころか、人生というものは本来そういうために用意されているんじゃないか、とすら思う。悩むためではなくて。
私の頭は絡まりやすい。様々なことを同時に考えて思考が絡まる。頭の良い人、とくに理系科目が得意な人は必要な事柄とそうでない事柄を分けて、過不足ない手順を踏んで問題を解きほぐすのが得意だ。私はそれが不得意だ。そういう点で頭が良い人に敵わないと思う。これは生来的な思考能力と幼少期に獲得した思考方法がものを言うんじゃないかと直観している。私にはそれがうまく身についていないな、とひしひし感じる。
思考が絡まり、混乱すると悩みが生まれる。無駄が生まれる。
私は不足から生まれた悩みに身や関心を費やして生きている。
不足していなければそれは考えずに済んだのだ。
人間の本質は「無駄」だと思っても、私がそうと思ったとしても、本当はそうじゃないかもしれない。
人間の本質が苦悩や病いだと思うことは、単に自分が不足のためにうまく生きれないことを受け入れないための正当化でしかなくて、私が本当に重要だと思っている本質というものは、不足していない彼らが追い求めている影のない光かもしれない。
そうしたら私が本当にときめき、憧憬をいだいていた本質っていったいなんだったんだろう。すべて間違いだったのかもしれない、あるいはこうして考えることはすべて余計なことだったのかもしれない。
書いているうちに雲を掴むように考えていたことがわからなくなってしまった。
ここに書いてあることは意味がわからない。
(ここから先は強烈な自己批判に陥る)
2024/05/08
(ブログに上げるための)追記
優しさを持つことが、弱きに心を割くことが、実用的でないものごとに囚われることが、本当にうまい生き方ではないのかもしれない、と思ったとき。私が信じていた正義に疑いが投げられたとき、私はしばらく動揺したし、悩んだ。どうすればいいかわからなかった。
感謝しよう。でもその悩みを相談する相手がいた。サークルの仲間たち。例会後の飲みで、前後の流れは失念したけれど一連の自分の疑いを披瀝した。彼らがくれた答えは、いくつかの有意義な視点を含んでいた。
(私は「相談する」という行為がとても苦手で、というのも、自分の抱える疑問や疑惑を伝えたところで、それに対して有意義な回答をよこしてくれる人なんて、ほとんど存在しないからである。だけど、今回の相談は私の期待に適う有難い機会だった。そうであることをなんとなく直観していたからこそ、私は彼らに打ち明けられたのだと思う。)
現部長の話
たしかに私の友達のような人間もいる。でも、我々のような人間(役に立つかどうかわからない物事を考えなきゃすまないような人間)がいるから、そういう人たち(実利的で、社会的地位や経済的豊かさ、楽しさが人生のプライオリティな人たち)は生きていける。実は、我々の存在なくして、彼らの幸せは存在し得ないのだ。
医学部の変わり者の話
いつかそういう人たちも気付く時が来る。
人間的なものがつなぐ何かがあることに気付き、どこかで必ず葛藤しなければならない時がくる。
「愚かでいるより、賢くいて苦しみながら苦しみながら死にたい」(すごいなぁ、と思った)
前部長の話
賢さとは、自分を幸せにするためのものではなくとなりの人を幸せにすること。
例えば、学歴厨の思考(「東大以外大学じゃない」)で苦しむのは、その人ではなくて”東大に行けなかった人”。
「満足な愚者であるより、不満足なソクラテスであれ」
-J・S・ミル
苦しむ人に手を差し伸べること
悩む人を見捨てないこと
置いて行かれた人を私は置いていかないこと
それが本当の優しさであり、賢さではないか。
「優しい花になりなさい。」
私の名前に込められた思いだ。
”どんなに華麗で人を感動させられるような美しい花よりも、
道端に小さく咲き ほとんどの人が気付かず通り過ぎてしまう地味な花でも、気付いた誰かを慰め勇気付けられるような、そんな優しい花になりなさい”
私は優しい花になるために、やはり生きていかないといけない、と思った。
普遍的な平和の実現をめざして
8月6日・9日は、日本の広島・長崎に原子爆弾が落とされ、ふたつの都市で「人工地獄」が生まれた日として、日本人の記憶に今も深い印象を残している。街に暮らしていた人々の約三分の一から二分の一が、閃光や熱線、爆風、放射能によって、その命を落とした。広島・長崎に落とされた原爆は、大量の人々が凄惨な死を遂げた悪夢のような現実として現代の歴史に悲劇的な記憶を刻み、人間の尊厳についての根源的・究極的な問いかけをもって我々の心を強く揺さぶると共に、それまでは希望であり恒久的な発展の象徴であった科学技術が、その究極的な大量殺傷能力をもって一転して人間の生を根底から脅かす凶器となることを示した出来事でもある。その一方で、原爆投下の正当性に対する考え方は、とくにその歴史に直接的に関与した日本、アメリカ、帝国日本の植民地であった東南アジア各国、とりわけ韓国の間でかなりの開きがある。当事国間での受け止め方の差を査定し、その溝を埋めていくことは、人類という一点で結ばれるこの世界のあらゆる人々が、ヒロシマ・ナガサキをきっかけに、平和という概念を共有しトランスナショナルに連帯する可能性を有するという点で、原爆の記憶を普遍的な共苦の歴史にする布石としての有用性をもつだろう。
1999年にN H K放送文化研究所が行った原爆投下に対する意識調査では、「アメリカが広島・長崎に原爆を投下したことは、その当時のアメリカとしては正しい選択だったと思いますか」という質問に、日本では8.2%のみが「正しかった」と回答したのに対して、韓国では60.5%、アメリカでは62.3%が「正しかった」と回答した。一方、「間違っていた」と回答したのは、日本で57.8%と半数以上を占めたのに対して、韓国では19.1%、アメリカでは25.7%と、日本とアメリカ・韓国の間でその正当性の認識にかなりの開きがあることがわかる。アメリカは第二次世界大戦の太平洋戦線において、日本の帝国主義的侵略・植民地支配・攻撃の相手を一手に担った経緯から、二発の原子爆弾が日本に壊滅的なダメージを与え、降伏の「決定打」となったというロジックをもって、原爆投下を少なくとも当時の状況を鑑みれば肯定的に捉えられる傾向が強い。原子爆弾はファシズムの暴力を食い止め太平洋戦争の早期終結に貢献したのであり、最終手段として投下はやむを得なかった、というのである。他方、韓国側では、原爆投下が日本の降伏、すなわち朝鮮半島の解放に繋がったという「原爆解放論」がいまだ根強い。その原爆観は、米国の論理の絶対性を始点として、1950年代の朝鮮戦争・戦後における悲劇の慢性化、1970年代からの技術的・文明論的観点からの原子力崇拝や「原爆待望論」の台頭、1980年代の一国平和主義的な「反戦反核」言説など、その国際状況や国内の情勢が強く影響しながら形成の途を辿ってきた。韓国におけるヒロシマ・ナガサキというのは、その実態と一枚壁を隔たった距離感の中で、常にアメリカや北朝鮮との関係性に連動しつつ、自国の歴史的状況下で価値の変動をやむを得ない一つの出来事としてしか参照されなかったといえる。
もちろん、韓国での原爆展の開催、原爆に関する書籍・日本作品の翻訳など、原爆解放論・原爆待望論を乗り越えた恒久的な平和価値の獲得へとつながる動きは起こっている。しかし、被曝体験を如実に表現しようとすれば、その描写は本来加害者である日本の被害者的側面だけを強調しているとする論調が、表現の行く手を阻む。被曝体験の語りは、被害/加害の二項対立のナショナルヒストリーに飲み込まれることがほとんど不可避なのである。
一方、日本における「被曝体験」は、日本の歴史が孕む加害性と被害性の歪みを形成することになる。それは現在の歴史認識にも地続きの問題であり、とくに朝鮮人被爆者の存在が顕在化したとき、日本側の原爆認識における錯誤が浮かび上がる。朝鮮人被爆者は被爆者総数の約10分の1ともいわれるが、「原爆の図」第14部の「からす」が象徴するように、朝鮮人は被爆地に累積する死体においても差別された。ともに同じ爆弾を被っていながら、戦後国境によって補償は寸断され、記憶の共有もままならなかった。日本が「唯一の被爆国」と自称するとき、そこには共苦の可能性をもつ日本人でない被爆者の捨象があることを顧みなければならない。
このように、日本とアメリカおよび韓国の間には、原爆の捉え方をめぐっていまだ大きな溝がある。それはねじれた加害/被害関係が生み出す複雑なポストコロニアル的課題であり、その溝は単純な経験の有無を超えた戦後処理の欠陥や現実と論理の齟齬、絡み合った歴史による軋轢が生んでいる。しかし、ヒロシマ・ナガサキから現代に残された我々が望むことのできる普遍的な平和は、互いの立場の相違を見落とし、意見の衝突に終始していては決して実現し得ない。あらゆる葛藤や歪み、軋轢を抱えながらも日韓が連帯するためには、ヒロシマ・ナガサキが持つ悲痛さや、それが投げかける「人間の尊厳とはなにか」という根源的な問いに真っ向から向かい合うことが重要ではないか。そのためには、先にも述べた両者の課題を認識し、克服する努力が必要だが、それには芸術作品が大きな効力を発すると考えられる。というのも、ここで見出されているのは連帯を「共苦」によって実現することの可能性なのであり、共苦とは抽象的な概念の押し付けや上意下達の啓蒙によってではなく、それぞれが自発的に体験する究極的に個人的な共感、心の単位での「痛み」の集積によって、帯状につながっていくさまを指すはずだからである。映画でも文学でも漫画でもあるいは美術・展示でも、ストーリーテリングのなかで我々は真に他者の痛みに触れることができ、具体的に対等な人間として目線を交わすことができる。地道ではあるが、文化のリスペクトから市民の交流が活性化し、より個人的なかかわりのうちに日韓関係と互いの歴史を捉えることができるようになれば、目に見えぬ連帯の礎も築かれることになるだろう。
武器の強さではなく、絶対的な降伏力ではなく、その現実的な恐ろしさ、壊滅の本当の意味を知る方法が、ヒロシマ/ナガサキにはある。そして核兵器というものの本当の意味を、力への崇拝が蔓延りつつある現存の世界は、もっとよく知る必要があり、これはまさに喫緊の問題であろう。いま、我々が78年前の8月に起きたヒロシマ/ナガサキのあの日を忘れ、力の前にひれ伏せば、ついに見るのはあの日の再来であろう。このような状況では、当然のことながら、やはり原爆の痛みを身をもって知る日本が主体となって、平和への呼びかけや歴史認識の再考を行っていく責任がある。
ひとつ言えるのは、戦後の思想体験の断絶があったとしても、細々ではありながら、互いの痛みに寄り添う動きはたしかに存在してきたということである。日韓がヒロシマ・ナガサキの記憶を共にし、自己の胸中にリアルな痛みを経験することができたとき、連帯した我々が、その痛みの語りをもって、米国ひいては世界に核の犯罪性・決定的な非人道性を強烈に訴えることも可能であろう。
参考文献
玄武岩(2016)『「反日」と「嫌韓」の同時代史−ナショナリズムの境界を越えて』勉誠出版
前期の授業で書いた課題レポート
教授に褒められて嬉しかった。思想が合致していたから、というだけだけれども。
レポートというより、普通にブログかどっかで書きそうな内容だと思ったのであげた。
日記
2023/01/20
共通テストが終わってからモチベーションが上がらず全然ちゃんと勉強できてないので、ひとつの試みとしてこのブログを記録用に使おうと思う。
ほんとはそういうのってツイッターが最適なんだろうけどツイッターって見てると気持ち悪くなってくるし、スタディプラスは地雷だし、自分で日記つけるだけじゃ何も楽しくないし。
京大をひとつの指針にやってきたから、標準問題集みたいな北大の過去問が、そんなこと言えるほど余裕はないとわかっていてもやっぱりどこかつまらないと感じてしまう。
北大に対するモチベーションはめちゃくちゃある。でも京大の、クソ難しいけどちゃんと論理は通っていて発想とか文章構築の工夫とかが必要な問題はすごく楽しかった。ゆうてそんな解いてないけどな。でもあれを着実に出来るように努力していけばものすごく力がつくこともわかってた。現役だったら、なんの迷いもなく目指してたと思うけど、一浪だから、大学自体にはそこまで強い思い入れもないのに問題の面白さだけで突っ込むっていうのはちょっとできなかった。
じゃあ北大の問題を楽しめるようにすればいいじゃないか。
それはそう。
でもやっぱり問題が楽しくないとかいうよりは、これまで走ってきた状態から、突然ふっと歩き始めたみたいな、拍子抜けっていうか止まった衝撃で魂抜けちゃったというか、そんな感じの脱力感、虚無感な感じがする。
決してなめてるとかじゃない。だから難しい。魂はどうしたら戻ってくるのだろうか。
あとは単純に薬の副作用あると思う。切れててしばらく飲んで無かった眠くなるタイプの薬を一昨日くらいにまたもらってきて飲んだら今日バカ眠かった。眠いというかふわふわする。飲まないようにする。
共テ前は塾の自習室行ってたけど、魂が抜けてるせいで自習室の椅子に座り続ける集中力が保てない。し、東大志望の男の子とかがすごい集中して演習してて、いいなあと思って悲しくなってくる。話したことないけど勝手に仲間みたく思ってたから、自分が先に戦線離脱したように感じて切なく思う。
有料自習室の方が問題で、めちゃくちゃペンの音うるさい人いるんだけどその音がものすごく気になるようになって我慢できなくなっちゃった。
有言不実行なところがあり、自分が口に出したことは全部やりたくなくなる節がある。
だからさっきから「明日は〜しよう」と書いてはやる気なくなって消すを繰り返してる。
考えてることはあるけどそれを文字にすると萎える。言葉に先手を打たれたようでいやなのかな。
言葉って簡単に作れて、消えないから、すごく煩雑でうっとおしいと思う。
現実にありえないもの、形而上のものを書くのが楽しいのであって、そのときやっと言葉の本領が発揮され、言葉は生き生きとするのであって、これから起こそうとすることとか、意志とか、そういうものを文字化するのって心に合わない。
何を言っているのかわからない。
グダグダである。でも今日は確実に薬のせいだ。