普遍的な平和の実現をめざして
8月6日・9日は、日本の広島・長崎に原子爆弾が落とされ、ふたつの都市で「人工地獄」が生まれた日として、日本人の記憶に今も深い印象を残している。街に暮らしていた人々の約三分の一から二分の一が、閃光や熱線、爆風、放射能によって、その命を落とした。広島・長崎に落とされた原爆は、大量の人々が凄惨な死を遂げた悪夢のような現実として現代の歴史に悲劇的な記憶を刻み、人間の尊厳についての根源的・究極的な問いかけをもって我々の心を強く揺さぶると共に、それまでは希望であり恒久的な発展の象徴であった科学技術が、その究極的な大量殺傷能力をもって一転して人間の生を根底から脅かす凶器となることを示した出来事でもある。その一方で、原爆投下の正当性に対する考え方は、とくにその歴史に直接的に関与した日本、アメリカ、帝国日本の植民地であった東南アジア各国、とりわけ韓国の間でかなりの開きがある。当事国間での受け止め方の差を査定し、その溝を埋めていくことは、人類という一点で結ばれるこの世界のあらゆる人々が、ヒロシマ・ナガサキをきっかけに、平和という概念を共有しトランスナショナルに連帯する可能性を有するという点で、原爆の記憶を普遍的な共苦の歴史にする布石としての有用性をもつだろう。
1999年にN H K放送文化研究所が行った原爆投下に対する意識調査では、「アメリカが広島・長崎に原爆を投下したことは、その当時のアメリカとしては正しい選択だったと思いますか」という質問に、日本では8.2%のみが「正しかった」と回答したのに対して、韓国では60.5%、アメリカでは62.3%が「正しかった」と回答した。一方、「間違っていた」と回答したのは、日本で57.8%と半数以上を占めたのに対して、韓国では19.1%、アメリカでは25.7%と、日本とアメリカ・韓国の間でその正当性の認識にかなりの開きがあることがわかる。アメリカは第二次世界大戦の太平洋戦線において、日本の帝国主義的侵略・植民地支配・攻撃の相手を一手に担った経緯から、二発の原子爆弾が日本に壊滅的なダメージを与え、降伏の「決定打」となったというロジックをもって、原爆投下を少なくとも当時の状況を鑑みれば肯定的に捉えられる傾向が強い。原子爆弾はファシズムの暴力を食い止め太平洋戦争の早期終結に貢献したのであり、最終手段として投下はやむを得なかった、というのである。他方、韓国側では、原爆投下が日本の降伏、すなわち朝鮮半島の解放に繋がったという「原爆解放論」がいまだ根強い。その原爆観は、米国の論理の絶対性を始点として、1950年代の朝鮮戦争・戦後における悲劇の慢性化、1970年代からの技術的・文明論的観点からの原子力崇拝や「原爆待望論」の台頭、1980年代の一国平和主義的な「反戦反核」言説など、その国際状況や国内の情勢が強く影響しながら形成の途を辿ってきた。韓国におけるヒロシマ・ナガサキというのは、その実態と一枚壁を隔たった距離感の中で、常にアメリカや北朝鮮との関係性に連動しつつ、自国の歴史的状況下で価値の変動をやむを得ない一つの出来事としてしか参照されなかったといえる。
もちろん、韓国での原爆展の開催、原爆に関する書籍・日本作品の翻訳など、原爆解放論・原爆待望論を乗り越えた恒久的な平和価値の獲得へとつながる動きは起こっている。しかし、被曝体験を如実に表現しようとすれば、その描写は本来加害者である日本の被害者的側面だけを強調しているとする論調が、表現の行く手を阻む。被曝体験の語りは、被害/加害の二項対立のナショナルヒストリーに飲み込まれることがほとんど不可避なのである。
一方、日本における「被曝体験」は、日本の歴史が孕む加害性と被害性の歪みを形成することになる。それは現在の歴史認識にも地続きの問題であり、とくに朝鮮人被爆者の存在が顕在化したとき、日本側の原爆認識における錯誤が浮かび上がる。朝鮮人被爆者は被爆者総数の約10分の1ともいわれるが、「原爆の図」第14部の「からす」が象徴するように、朝鮮人は被爆地に累積する死体においても差別された。ともに同じ爆弾を被っていながら、戦後国境によって補償は寸断され、記憶の共有もままならなかった。日本が「唯一の被爆国」と自称するとき、そこには共苦の可能性をもつ日本人でない被爆者の捨象があることを顧みなければならない。
このように、日本とアメリカおよび韓国の間には、原爆の捉え方をめぐっていまだ大きな溝がある。それはねじれた加害/被害関係が生み出す複雑なポストコロニアル的課題であり、その溝は単純な経験の有無を超えた戦後処理の欠陥や現実と論理の齟齬、絡み合った歴史による軋轢が生んでいる。しかし、ヒロシマ・ナガサキから現代に残された我々が望むことのできる普遍的な平和は、互いの立場の相違を見落とし、意見の衝突に終始していては決して実現し得ない。あらゆる葛藤や歪み、軋轢を抱えながらも日韓が連帯するためには、ヒロシマ・ナガサキが持つ悲痛さや、それが投げかける「人間の尊厳とはなにか」という根源的な問いに真っ向から向かい合うことが重要ではないか。そのためには、先にも述べた両者の課題を認識し、克服する努力が必要だが、それには芸術作品が大きな効力を発すると考えられる。というのも、ここで見出されているのは連帯を「共苦」によって実現することの可能性なのであり、共苦とは抽象的な概念の押し付けや上意下達の啓蒙によってではなく、それぞれが自発的に体験する究極的に個人的な共感、心の単位での「痛み」の集積によって、帯状につながっていくさまを指すはずだからである。映画でも文学でも漫画でもあるいは美術・展示でも、ストーリーテリングのなかで我々は真に他者の痛みに触れることができ、具体的に対等な人間として目線を交わすことができる。地道ではあるが、文化のリスペクトから市民の交流が活性化し、より個人的なかかわりのうちに日韓関係と互いの歴史を捉えることができるようになれば、目に見えぬ連帯の礎も築かれることになるだろう。
武器の強さではなく、絶対的な降伏力ではなく、その現実的な恐ろしさ、壊滅の本当の意味を知る方法が、ヒロシマ/ナガサキにはある。そして核兵器というものの本当の意味を、力への崇拝が蔓延りつつある現存の世界は、もっとよく知る必要があり、これはまさに喫緊の問題であろう。いま、我々が78年前の8月に起きたヒロシマ/ナガサキのあの日を忘れ、力の前にひれ伏せば、ついに見るのはあの日の再来であろう。このような状況では、当然のことながら、やはり原爆の痛みを身をもって知る日本が主体となって、平和への呼びかけや歴史認識の再考を行っていく責任がある。
ひとつ言えるのは、戦後の思想体験の断絶があったとしても、細々ではありながら、互いの痛みに寄り添う動きはたしかに存在してきたということである。日韓がヒロシマ・ナガサキの記憶を共にし、自己の胸中にリアルな痛みを経験することができたとき、連帯した我々が、その痛みの語りをもって、米国ひいては世界に核の犯罪性・決定的な非人道性を強烈に訴えることも可能であろう。
参考文献
玄武岩(2016)『「反日」と「嫌韓」の同時代史−ナショナリズムの境界を越えて』勉誠出版
前期の授業で書いた課題レポート
教授に褒められて嬉しかった。思想が合致していたから、というだけだけれども。
レポートというより、普通にブログかどっかで書きそうな内容だと思ったのであげた。
むげになる
このままじゃ。
韓国、韓国語
開発時代の韓国の「捨てられた人々」について知りたい。
戦争と平和
人が武器で死ぬのはつらい。だから、どうして人が戦争のために死ななければならないのか、知りたい。
アフリカ
追いやられた人々。奪われた人々。どういう生活で、どういう認識で、どういう文化を生きているのか知りたい。
荘子 老荘思想
人間の本質を知りたい
哲学 インド哲学
一度哲学全史について知っておかないと、いけないから。疑問や人生の問いを古今東西の哲学で回答、あるいは参照できるようにしたい。
フェミニズム、ジェンダー論
性というものの本質と、現代的なジェンダー問題の俎上に上げた時の概念認識の捩れがどのようになっているのか知っておきたい。
中国語 漢詩
漢字がとても綺麗だから。
和歌、古文
日本の源流 精神思想 美しい日本語に触れたい、たくさん共感できる
英語、ドイツ語
話せるようになりたい、というより、読めるようになりたい、書けるようになりたい。やっぱり外国語でも表現できるようになりたい。表現が楽しい。
追いやられた人々の哲学
を、私は学びたい。
表現したい。美しいものを表現したい。
語彙ノートを作っているのは表現するため。旅に出るのは表現の素材にするため。
なんでこんな浮ついてるんだろう。
友達もいなくて、希望もなくて、自分が嫌いで、日々追い詰められていないと、美しさに気付けない。
全て漫然とスルーしてしまう。
人生と生活と安定と引き換えに、不安と絶望と汚濁と孤独を引き受けなきゃ、私は私の人生、「私しか生きられない人生」を、全うできない。
絶望しなきゃ正しい道が見えない。
今の全てを投げ打って、東京にでも帰らなきゃ…
安定した彼氏と安定した生活を築こうとしてる。
どんどん私じゃなくなる。
でも安定した彼を捨てられないし、裏切れないし、
生活する主体と、考える主体が、別々ならいいのに。
私はそろそろ卒業しなきゃダメだと思う、
学業を投げ打って、バイトに身を投じて、深夜バスで遠い見知らぬ地まで行き来して、「ライブ」で命を感じて得た充足感を。
高校時代の成功体験から足を洗わなくちゃダメだと思う。
もう一度、自分で「生命」を感じるものに出会い直さなきゃダメだと思う。
日記
2023/01/20
共通テストが終わってからモチベーションが上がらず全然ちゃんと勉強できてないので、ひとつの試みとしてこのブログを記録用に使おうと思う。
ほんとはそういうのってツイッターが最適なんだろうけどツイッターって見てると気持ち悪くなってくるし、スタディプラスは地雷だし、自分で日記つけるだけじゃ何も楽しくないし。
京大をひとつの指針にやってきたから、標準問題集みたいな北大の過去問が、そんなこと言えるほど余裕はないとわかっていてもやっぱりどこかつまらないと感じてしまう。
北大に対するモチベーションはめちゃくちゃある。でも京大の、クソ難しいけどちゃんと論理は通っていて発想とか文章構築の工夫とかが必要な問題はすごく楽しかった。ゆうてそんな解いてないけどな。でもあれを着実に出来るように努力していけばものすごく力がつくこともわかってた。現役だったら、なんの迷いもなく目指してたと思うけど、一浪だから、大学自体にはそこまで強い思い入れもないのに問題の面白さだけで突っ込むっていうのはちょっとできなかった。
じゃあ北大の問題を楽しめるようにすればいいじゃないか。
それはそう。
でもやっぱり問題が楽しくないとかいうよりは、これまで走ってきた状態から、突然ふっと歩き始めたみたいな、拍子抜けっていうか止まった衝撃で魂抜けちゃったというか、そんな感じの脱力感、虚無感な感じがする。
決してなめてるとかじゃない。だから難しい。魂はどうしたら戻ってくるのだろうか。
あとは単純に薬の副作用あると思う。切れててしばらく飲んで無かった眠くなるタイプの薬を一昨日くらいにまたもらってきて飲んだら今日バカ眠かった。眠いというかふわふわする。飲まないようにする。
共テ前は塾の自習室行ってたけど、魂が抜けてるせいで自習室の椅子に座り続ける集中力が保てない。し、東大志望の男の子とかがすごい集中して演習してて、いいなあと思って悲しくなってくる。話したことないけど勝手に仲間みたく思ってたから、自分が先に戦線離脱したように感じて切なく思う。
有料自習室の方が問題で、めちゃくちゃペンの音うるさい人いるんだけどその音がものすごく気になるようになって我慢できなくなっちゃった。
有言不実行なところがあり、自分が口に出したことは全部やりたくなくなる節がある。
だからさっきから「明日は〜しよう」と書いてはやる気なくなって消すを繰り返してる。
考えてることはあるけどそれを文字にすると萎える。言葉に先手を打たれたようでいやなのかな。
言葉って簡単に作れて、消えないから、すごく煩雑でうっとおしいと思う。
現実にありえないもの、形而上のものを書くのが楽しいのであって、そのときやっと言葉の本領が発揮され、言葉は生き生きとするのであって、これから起こそうとすることとか、意志とか、そういうものを文字化するのって心に合わない。
何を言っているのかわからない。
グダグダである。でも今日は確実に薬のせいだ。
親と子
仏陀もガンディーもネグレクトであった。
子造りとは、養育とは、地に足のついた、きわめて現実的な営為である。
そこに特殊なことはなにもない。幻想もない。理想もない。観念もない。
親と子のかかわりの本質とはつねに現実に備わっている。
したがって、現実のよくみえないような人は、子など造るべきではない。
親の子のかかわり合いはいつ崩壊するか?いつ歪むか?現実でないものが介入したとき。宗教。空想。現実と勘違いされた、親と子の仲を引き裂く魔物。恐ろしい、彼が神か、それとも暴漢かわたしには、わからないけれど、そのような魔物。
神は怖くない。
人間の信じた神は怖い。
人間に信じられた神は、信じる者と同化する。
この世のものでない強さを宿してはいけない。
隣人のからだを貫きかねない 強すぎる光は隠した方がよい。
神はわたしたちを引き裂く。
再述するが、現実から遠いものに、もしかしたら無いかもしれない、そんなものに、心を惹かれる無垢な貴方は、子を造ってはいけない。
愛は現実だ。
愛には直接必要のないものがある。それは正しさ。等間隔の観測法。
愛に正しさはいらない。愛には人さえあればいい。人は基本、正しくないし、人の歪みは、それだから人間なのだ。
愛は歪んでいて然るべきだ。歪みから生ずる調和を愛は尊ぶ。愛にいらないもの。正しさ。等しさ。理念、後付けの倫理。
人はどこかで矛盾する。矛盾を無くす究極の解決策は、生産を止めることになってしまう。
社会正義に臣従する理性の騎士は、結局、社会正義と心中することが最大の喜びなので、その子どもはひどく苦労する。「私」の親は、じつは「私」の親ではなくて、社会の、人民の、「私」ではない他の誰かの親であったと気付く。親はいつか死ぬ。それも、喜んで。もちろん「私」のためなどでは無く、何かもっと、壮大で立派らしいもののために。
親が死を恐れないことは、子にとっては恐れでしかない。「私」を生んだ創造主による死の宣告。脅迫の家族。そういう家の子どもにとって人生は、常なる処刑台に等しい。
子どもは不合理な偏重が欲しい。何も知らない新生児の世界に、軽重をつけるのは不合理さだ。合理ではない。わたしは理由なき歪みがほしかった。理由などないと言って欲しかった。見てわかるでしょう。私はいつも理由を求めてしまう。そうでないと納得できない人になってしまった。
崇高な精神が、崇高すぎるゆえに、その毒を浄化したかと思っても、社会正義などつゆ知らぬ子どもが産まれれば毒はまた醸成されてしまう。その子どもの体内において。
美しい社会正義の最終産物が、自分の人生の壊滅だと気づいたとき、正義に排外された唯一の人物である彼は、世界をどう見るか。
世界に還元される運命にある、蔭の部分に産まれ、蔭の部分に生きることになった、宿命の子どもたちは、どこへ向かうか。
ガンディーの長男みたいに、道のどこかでのたれ死んでしまうかもしれない。それが静かでよいのかもしれない。沈黙こそ、親の目指した社会正義を達成させる、強力な援助者なのだから。
でも、そういう究極の個人(美しい社会正義を唱導し、駆動するような人物は歴史上見てもごく稀である。そんな人物の子どもとして生まれてくる人生はそれ自体が究極的に個人的な体験である)が、もしかすると世界を裏切る逆賊にならないとも限らない。
理性は行き過ぎると時により暴力を生む。
魂に宿る、痛み、わたしはそれをいつまでも愛している。
(実生活の話)
夏に受けた模試が悉くやばすぎて気が付けばクソ病み日記しか書いてない。明日の授業本当に鬱だし。思想以前の燻りみたいなものがポツポツあるからここに書き残しとけば大学入った後色々勉強してから今の悩みとか苦しみとかを紐解いていくのに便利かなと思って書いてるけども。大学行ってからのことに全然希望や実感が持ててなかったけど、最近英語の先生が大学勤務ってことを知って、論文ちょっと読んだら興味関心の方向性が近い気がしたからそれが結構希望の種になってて有り難い。私も大学行ったらああやって好き勝手書ける(語弊)んだ!っていう。まあ成績やばすぎて憧れるとかも烏滸がましいんだけどさ。本当に明日いやだなぁ。何が嫌かって、全然出来なかったのを報告するのも嫌だし、じゃあなんで出来なかったの?っていう原因解析をしなくちゃいけないんだけど分析してみると結局自分のメンタルの弱さとか内面的な部分に起因してる気がして(心が)終わる。あとはシンプルに情報処理能力が皆無。メンタルとか自分でもよくわかってないプチパニック現象なんて先生に相談したって解決しないし、でも言わなかったら単によくわからんけど出来ない奴みたいになっちゃうし、どちらにしてもツラい。こうして逃げ場がなくなってくんだよな。先生に会うのは楽しみだけどマジで模試はなかったことにしたい。あと、世界は私に合わせて試験開始時間を18時からにしてほしい。(日が沈んでから落ち着ける人より)
言葉がほしい
言葉は恣意的だとか、言語は単なる統一的分節機構だとか、人間は語彙から解放されないとか、言うが、幸せだと思ってほしい。
言葉で決定付けられることを幸福だと思ってほしい。
分節されない感情は恐怖だ。(その感情が恐怖なのではなくて、分節されてくれないことが、恐ろしいのだ)。
出来ることならすべてが分節のナイフを通せるものであった方が、言葉になってくれた方が(言葉になり得るものであった方が)、そうすることで名称によって他の性質を切り捨ててもらった方が、楽だ。そうじゃないと人間は恐怖で死んでしまう。
強制的な分類法や抽象と捨象の過程は、カオスを保存したい傲慢からすれば言語構造の宿命的な欠陥であろうが、私はむしろその作用にあやかりたい。あやらかなくてはいけないような人間だ。
だいたい、名称があらゆるカオスの要素を掬い取れないのは、そうしないとダメだからだ。あなたの心の表情が、今は「笑顔」であるとわかったなら(あなたが笑顔と形容しても良いようなら、あなたがそれを「笑顔」だと、気付く余地があるようなら)、特定の性質を帯びたその心を、喜びなさい。
言葉で掬い取れなかった部分に、意味などがあるか。
わたしはこのこころを、すべて言い表す、名称以前のカオスの形態をすべて言い当てる、そういう優秀な言葉が、欲しいのではない。
はやくこのどうかしたこころを、絡まりすぎてもうすぐ息の止まりそうな無限の精神繊維を、裁断して捨て去ってほしいだけなのだ。
捨てるための言葉が欲しいのだ。拾うためではなくて。
このこころを裁断する言葉が見つかれば、小説は終わりだ。
・・・
「共鳴、親愛、納得、熱狂、うれしさ、驚嘆、ありがたさ、勇気、救い、融和、同類、不思議などと、いろいろの言葉を案じてみましたけれど、どれも皆、気にいりません。重ねて、語彙の貧弱を、くるしく思います。」
太宰治『風の便り』
・・・
たくさんの休息が必要な私の人生は効率が悪く、人類が考案した効率の良い時間割からいつもはみ出る。
世の中は言葉の構造的統一よりもずっと機械的で、効率的で、それゆえ残酷な社会運用メカニズムによって動いているし、みんなはその上で平然と生きているのに、私は上手に生きることができず、アフリカの子供たちのように何かに搾取されているわけでもないのに、決定的な原因は判然としない精神の疲労に一人で勝手に搾取されている。
私は普段、社会の秩序を乱したり、自然の秩序に悲しんだりするくせに、言葉の創生する秩序と効率性にだけは、ひどく従順な気がして、本当に自分は何がしたいんだろう。よくわからない。
・・・
「路傍の花」
止まらぬ世界は私を横切り
舞い戻った粉塵と
石ころになった人びとだけが
今は路傍に残っている
ここでどう咲くか考えている
もう死んだ路傍で私は
「生きる」について考えている
ゆっくり じっくりと
風はもう去っていったよ
かつて人びとだった石ころたちが
そっと囁き合うのを聞いた
私は考えている
「生きる」について考えている
うつくしく 貧しい
この路傍にて
・・・
2022.8.17
言葉について
1.
私は殴られよう。
あなたが世界の極に気づくまで。
絶望したあなたを救うまで。
2.
言葉はわたしを絶望させない。たとえいかなる齟齬があっても、越えられない概念認識の壁があっても、あなたの言う青と私の言う青が全く別のものだったとしても。
言葉には限界があるだろうか。限界?わたしは、無いと思う。表現できるところまでが限界だろうか。捨象された世界を見て、限界を悟るのか。否、わたしにはやはり、それでもやはり、限界は無いように思われる。
あなたがすべてを表現したいのなら別だけれど、そうではないはずだ。表現される必要のある世界は限られているはずだ。そもそも、言葉の先に世界なんて無いのだ。言葉は言葉で、そこで終わりだ。私たちは言葉で包含する必要のない世界も持っているはずだし、それが見えるなら、いいはずだ。
言葉は想起の装置であり(それは芸術)、人と人が協力して生きていくための信号であり(それは言語)、言葉の機能それ自体に大きな意味合いは無いように思う。言葉に限りがあるのではなくて、時間に限りがあるのである。話し合う時間が足りていないだけなのである。表現よりも、人は、社会を動かす方が大事なのだ。我々が生きるには、勿論それが正しい選択だ。
言葉だけでは物の形は変えられないけれど、力があれば変えられる。政治とはなんであろう。
政治家の語る言葉はどういう意味をもつのであろう。醜いかたちをした力を、言葉が綺麗にコーティングしてあげているのであればそれは言葉が可哀想ではないか。いや、可哀想というわけでもなくて、それが言葉の使命なのだから仕方ないか。
言葉は美しい。言葉で語られる世界はいつも美しく、なまぬるく、それは現実を綺麗に写しとっただけの、虚構かもしれない。鏡の中に映る世界は、案外秩序立っていて美的かもしれない。
言葉は何を決めるだろうか。そして実際には、何が決まっているだろうか。
言葉があっても戦争は起こる。講和条約は数年経つと破られ、そこに語られた言葉はいとも容易く踏み躙られ、軽んじられ、いつのまにか、力を守る実用的な武器になっている。でもそれは、言葉の無力さではなくて、力の傲慢さではないか。言葉が抑止力を持つ世界なら素敵だったと思う。イデアで目撃した幸福を、みんな言葉で思い出すことができたらいいのに、と思う。無理だろうか。みんなは忘れてしまっているだろうか。イデアでの暴力は地獄の顔をしていなかったか。ほんとうに、人はどうして暴力を振るうのかわからない。
3.
言葉をたいせつにしていては勝てない。でもわたしは言葉を裏切ることができない。だから、勝たなくてもいい。いつまでもこの世界の深淵の、濁り澱んだ汚穢の溜まり場の、そこ、底に落ちていけばいい。底では時間が滞っている。どうにもならなかったはずの均質な時間の流れが、実は滞る場所もあるのだ。力を持たぬ弱いひとたちの中にいて、私は初めて、呼吸ができたような気分になる。
社会の底辺に吸い込まれるひともあるのだ。夢から。憩いから。懐かしみから。慰めから、憧れから。
人間である人々が非人間と呼ぶ底辺の群れの中で、生きた心地がするのは何故だろうか。
「人間失格」は、太宰治がわたしたちに与えてくれた、新しいわたしたちの名前なのだと思う。人間として生きてきた人々の中で、人間に相応しくないひとがいた。苦しくて、自我の置きどころも何もわからず、ただただ生まれてからずっと、自分の存在の是非を問うてきて、人間そのものに否定され、行き場の無かったひとたちに、太宰治は名前を与えたのだと思う。彼が賢いのは、芽が出たら摘まれるだけの非人間に、アイデンティティを作り出したことである。それほど自己愛が強かったとも言える。どのみちわたしは彼によって、生かされている。人間失格として生かされている。
4.
私はいつも絶望する。ここは言葉の叶う世界ではない。言葉はいつも裏切られる側にいて、力はどこにいても世界の勝者となっている。
ヒトと他の動物の最も大きな違いは言葉だと言うことがあるけれど、本当に言葉を使える人間であれば、その人はむしろ人間に生まれてきて不幸だったのではないか。人間は言葉を持っているけれど、何より力をつかうのだ。これは正直者が馬鹿を見る とは少し違う。人間の大多数は動物だから、結局動物に言葉を与えても、もっと凄惨な手順で弱肉強食ヒエラルキーを構築してしまうだけな気がする。
つまり、ヒエラルキーは当たり前で、それは秩序だ。残酷なのは言葉という美しいものを知っていることであり、言葉によって美しい世界を語れてしまうことだ。
人間も自然の一部としてはこの秩序に貫かれるはずだし、それを認めなくてはいけない。
それでも弱者が泣く生物は人間だけであり、弱者を泣かせているのがもし自然の秩序なのだとしたら、弱者の感じ得る痛みこそが、「人間」と「人間以外の自然」を隔てる正にその"人間性"ということにはならないだろうか。
単に言語体系が人間とそれ以外を区別するわけではない。動物性に従順な言葉もあるからだ。それよりも、人間を他の自然と真に画するのは、「痛みを語る言葉」かもしれない。
ヒエラルキーの頂点に立って楽しいだろうか?
力を持てずに人間から没落して、社会から転げ落ちると、むしろ人は自然に抗う重力の存在に気付けるかもしれない。
5.
弱者はどのみちすぐに死んでしまうので、そんなに躍起になって、殴らないでください。
だけど、抵抗できないひとびとの弱さが、あなたの生命の維持にはこれっぽっちも影響力を持たなかったとしても、あなたの本当の意味での尊厳には、傷を付けている可能性がある。
尊厳とは何を言うのだろうか。健康だろうか。文化だろうか。豊かさだろうか、誇りだろうか。
ぼろ布を纏うことしかできなかったとしても、本当の人としての尊厳は、そこだけでは語りえないのだと思う。
ひとつ注意しておくことは、人間は基本的に、自らの尊厳を自らで損なう人の方が多いのである。尊厳を損なうことから「人間」は始まるのかもしれない。それが人間で、それがこの世界で生きていくということで、そういうものなのかもしれない。
だけどそれに賛成も何も無い。
そういうことだと知ったので、あとどうするかは、私が決めなくてはいけない。
困難と一体のからだ
悩みがある。苦しみがある。壁にぶち当たる。人生のハードルを見つける。
人はそれを困難と言う。人生は困難の連続だという。乗り越えた先に新しい世界が見える。克服、克己、勝つ、パスする。
私は勝負が嫌いだった。嫌いというか、苦手なのだ。相容れなかった、なんとなく。よくわからない。なんでだろう、でも勝敗のつくものがいつも怖かった。目も前にすればたちまち、逃げ出したくなった。運動会で盛り上がったことなんて無かった。勝利に沸き立つみんなの気持ちを理解できなかった。頑張るが何かわからない。何を努力と呼ぶのかわからない。
欠落だと思う。太宰治が人間失格といったのはこのことだと思う。欠落なのである。克服するちからの乏しさ。私にはいつもなにか足りていない。
足りていないのか?
わたしがそれ自身だとしたら?
対象化、っていう糸口を見つけた。人は困難にぶち当たると、それを分析して、対策して、案を練り直して、そういう試行錯誤を繰り返しながら、克服していくんだと思う。経験がないわけじゃない。その過程では困難が「対象化」されている。克己は自己を対象化することにより実現しうる。戦うためには敵を知らなくてはいけない。化粧するならまずは鏡を見ながら、自分の顔がどういった風貌なのか、目と鼻と口はどこにあるのか、そういうところから確認しなくてはいけない。
克服できないとはどういうことか?それがそれ自身なのである。「わたし」が「困難」なのである。正確に言えば、困難とは壁とは、私の外にあるものではなくて、また外的力によってもたらされるものではなくて、わたしの中に内在しているのである。対象化はできない。そうなると克服もできない。私の抱える困難に解決も克服も乗り越えるもない、一生付き合っていくしかないんじゃないか。わたしはもともと敗者の側にいて、勝利なんて知らないのである。だから勝利の喜びも楽しさもわからないし、実感として自分のなかに取り込むことはできないし、ずっと理解できないまま、ただそれを喜ぶ人の真似事を注意深くしてみるのである。どんな顔が喜びか、勝った時にどういう言葉をかけるのか、勝ちたいと思っている人にどういう励ましをしたらいいのか、そういうのは経験的に知っている。
たとえば盲目の人に、見えないのは努力不足だなんて言わないでしょう。両脚のない人が、とある階段を登れなかったとして、それを工夫が足りないからだとは言わないでしょう。
身体障害者は自分と分離できない自分自身の一部に、身体的な困難を内在している人のことで。じゃあ精神障害者とは?俗にいう「こころ」だけでは、説得力が無いのかもしれない。「脳」という実際的なものが関係していそうだと科学技術の発展によって理解され始めたのが認識の端緒になったろう、どちらにしても困難の内在する場所が、目に見えないところにあるのがそれである。
精神障害だなんて診断書、本当はあってもなくてもいいんだと思う。ただ対象化できないある困難が自分のなかに巣くっていることを、そう知ってもらえずに、責め立てられる恐怖さえ無ければいいのである。
でもそうだろうか?診断は解決とイコールじゃない。わたしは間違っていたのかもしれない。解決なんてハナから無い事を知るべきである。解決の無い、出口の無い、かなしくて深い困難に、わたしがわたしである限り苦しみ続けるのが、結局私の人生なのかもしれない。そういう人は一定数いるのである。私は知っている。克服なんてなくて、だって苦しいのはじぶんで。人生は我慢比べなのである。自分に我慢できなくなったとき、こういうこころの持ち主は、自ら命を絶つのかもしれない。自分を終わらせる、ことをするのかもしれない。何が苦しいわけでもない。太宰治は彼の困難を克服するのに、三十九年の時間を使った。
克服を諦めたらいいのである。この世で自死が忌まわしいとされるなら。生きるための諦めが必要である。それを強さと呼んだらいいのか。
完璧主義なのか?理想家なのか?本当にそれが原因なのだろうか。頭が良いから?ものがよく見えてしまうから?いろんなこえを、聞いてしまうから?繊細だから。そうじゃない。そうかもしれない。でもそうじゃない。
太宰は人に迷惑をかけ続けたわけだけれど、そしてそれを、自分でもわかって、ちゃんと苦しんでいたわけだけど。
義理とか共感とか、相互補完とか、そういうひと同士の組立てが、生物を生かし、社会を構成し、そういうおこないを手間取ることもなく、自然にできることを人間と呼ぶなら。克服と進歩の強さが人生を為すなら。いつだってそれをしないのは不適なのである。追放はここにきて悪しき圧力でなくなる。人間、それだけが自分を否定するとき、抵抗の意欲は、声は、はじめて__そしてやっと__押しやられる。非の矛先が自分へ向く。剥き出しの刃の先にはすでに何も無い。きっともう崖の底へ落ちた。
そのことだ。
いつだってその否は人間失格なのであり、人間を裏切るわたしやぼくは、死ぬしかないのである。
死んで初めて、克服と呼んでもらえるようなひとが、この世にもまだいるのである。