about my spring

思考の通過点 / 19歳

親と子


仏陀もガンディーもネグレクトであった。
子造りとは、養育とは、地に足のついた、きわめて現実的な営為である。
そこに特殊なことはなにもない。幻想もない。理想もない。観念もない。
親と子のかかわりの本質とはつねに現実に備わっている。
したがって、現実のよくみえないような人は、子など造るべきではない。

親の子のかかわり合いはいつ崩壊するか?いつ歪むか?現実でないものが介入したとき。宗教。空想。現実と勘違いされた、親と子の仲を引き裂く魔物。恐ろしい、彼が神か、それとも暴漢かわたしには、わからないけれど、そのような魔物。
神は怖くない。
人間の信じた神は怖い。
人間に信じられた神は、信じる者と同化する。
この世のものでない強さを宿してはいけない。
隣人のからだを貫きかねない 強すぎる光は隠した方がよい。

神はわたしたちを引き裂く。
再述するが、現実から遠いものに、もしかしたら無いかもしれない、そんなものに、心を惹かれる無垢な貴方は、子を造ってはいけない。

愛は現実だ。
愛には直接必要のないものがある。それは正しさ。等間隔の観測法。
愛に正しさはいらない。愛には人さえあればいい。人は基本、正しくないし、人の歪みは、それだから人間なのだ。
愛は歪んでいて然るべきだ。歪みから生ずる調和を愛は尊ぶ。愛にいらないもの。正しさ。等しさ。理念、後付けの倫理。

人はどこかで矛盾する。矛盾を無くす究極の解決策は、生産を止めることになってしまう。

社会正義に臣従する理性の騎士は、結局、社会正義と心中することが最大の喜びなので、その子どもはひどく苦労する。「私」の親は、じつは「私」の親ではなくて、社会の、人民の、「私」ではない他の誰かの親であったと気付く。親はいつか死ぬ。それも、喜んで。もちろん「私」のためなどでは無く、何かもっと、壮大で立派らしいもののために。
親が死を恐れないことは、子にとっては恐れでしかない。「私」を生んだ創造主による死の宣告。脅迫の家族。そういう家の子どもにとって人生は、常なる処刑台に等しい。

子どもは不合理な偏重が欲しい。何も知らない新生児の世界に、軽重をつけるのは不合理さだ。合理ではない。わたしは理由なき歪みがほしかった。理由などないと言って欲しかった。見てわかるでしょう。私はいつも理由を求めてしまう。そうでないと納得できない人になってしまった。

崇高な精神が、崇高すぎるゆえに、その毒を浄化したかと思っても、社会正義などつゆ知らぬ子どもが産まれれば毒はまた醸成されてしまう。その子どもの体内において。

美しい社会正義の最終産物が、自分の人生の壊滅だと気づいたとき、正義に排外された唯一の人物である彼は、世界をどう見るか。
世界に還元される運命にある、蔭の部分に産まれ、蔭の部分に生きることになった、宿命の子どもたちは、どこへ向かうか。

ガンディーの長男みたいに、道のどこかでのたれ死んでしまうかもしれない。それが静かでよいのかもしれない。沈黙こそ、親の目指した社会正義を達成させる、強力な援助者なのだから。

でも、そういう究極の個人(美しい社会正義を唱導し、駆動するような人物は歴史上見てもごく稀である。そんな人物の子どもとして生まれてくる人生はそれ自体が究極的に個人的な体験である)が、もしかすると世界を裏切る逆賊にならないとも限らない。


理性は行き過ぎると時により暴力を生む。
魂に宿る、痛み、わたしはそれをいつまでも愛している。












(実生活の話)
夏に受けた模試が悉くやばすぎて気が付けばクソ病み日記しか書いてない。明日の授業本当に鬱だし。思想以前の燻りみたいなものがポツポツあるからここに書き残しとけば大学入った後色々勉強してから今の悩みとか苦しみとかを紐解いていくのに便利かなと思って書いてるけども。大学行ってからのことに全然希望や実感が持ててなかったけど、最近英語の先生が大学勤務ってことを知って、論文ちょっと読んだら興味関心の方向性が近い気がしたからそれが結構希望の種になってて有り難い。私も大学行ったらああやって好き勝手書ける(語弊)んだ!っていう。まあ成績やばすぎて憧れるとかも烏滸がましいんだけどさ。本当に明日いやだなぁ。何が嫌かって、全然出来なかったのを報告するのも嫌だし、じゃあなんで出来なかったの?っていう原因解析をしなくちゃいけないんだけど分析してみると結局自分のメンタルの弱さとか内面的な部分に起因してる気がして(心が)終わる。あとはシンプルに情報処理能力が皆無。メンタルとか自分でもよくわかってないプチパニック現象なんて先生に相談したって解決しないし、でも言わなかったら単によくわからんけど出来ない奴みたいになっちゃうし、どちらにしてもツラい。こうして逃げ場がなくなってくんだよな。先生に会うのは楽しみだけどマジで模試はなかったことにしたい。あと、世界は私に合わせて試験開始時間を18時からにしてほしい。(日が沈んでから落ち着ける人より)