about my spring

思考の通過点 / 19歳

言葉がほしい


言葉は恣意的だとか、言語は単なる統一的分節機構だとか、人間は語彙から解放されないとか、言うが、幸せだと思ってほしい。
言葉で決定付けられることを幸福だと思ってほしい。
分節されない感情は恐怖だ。(その感情が恐怖なのではなくて、分節されてくれないことが、恐ろしいのだ)。

出来ることならすべてが分節のナイフを通せるものであった方が、言葉になってくれた方が(言葉になり得るものであった方が)、そうすることで名称によって他の性質を切り捨ててもらった方が、楽だ。そうじゃないと人間は恐怖で死んでしまう。
強制的な分類法や抽象と捨象の過程は、カオスを保存したい傲慢からすれば言語構造の宿命的な欠陥であろうが、私はむしろその作用にあやかりたい。あやらかなくてはいけないような人間だ。

だいたい、名称があらゆるカオスの要素を掬い取れないのは、そうしないとダメだからだ。あなたの心の表情が、今は「笑顔」であるとわかったなら(あなたが笑顔と形容しても良いようなら、あなたがそれを「笑顔」だと、気付く余地があるようなら)、特定の性質を帯びたその心を、喜びなさい。
言葉で掬い取れなかった部分に、意味などがあるか。
わたしはこのこころを、すべて言い表す、名称以前のカオスの形態をすべて言い当てる、そういう優秀な言葉が、欲しいのではない。
はやくこのどうかしたこころを、絡まりすぎてもうすぐ息の止まりそうな無限の精神繊維を、裁断して捨て去ってほしいだけなのだ。

捨てるための言葉が欲しいのだ。拾うためではなくて。
このこころを裁断する言葉が見つかれば、小説は終わりだ。





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「共鳴、親愛、納得、熱狂、うれしさ、驚嘆、ありがたさ、勇気、救い、融和、同類、不思議などと、いろいろの言葉を案じてみましたけれど、どれも皆、気にいりません。重ねて、語彙の貧弱を、くるしく思います。」

太宰治『風の便り』


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たくさんの休息が必要な私の人生は効率が悪く、人類が考案した効率の良い時間割からいつもはみ出る。
世の中は言葉の構造的統一よりもずっと機械的で、効率的で、それゆえ残酷な社会運用メカニズムによって動いているし、みんなはその上で平然と生きているのに、私は上手に生きることができず、アフリカの子供たちのように何かに搾取されているわけでもないのに、決定的な原因は判然としない精神の疲労に一人で勝手に搾取されている。

私は普段、社会の秩序を乱したり、自然の秩序に悲しんだりするくせに、言葉の創生する秩序と効率性にだけは、ひどく従順な気がして、本当に自分は何がしたいんだろう。よくわからない。





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「路傍の花」


止まらぬ世界は私を横切り
舞い戻った粉塵と
石ころになった人びとだけが
今は路傍に残っている

ここでどう咲くか考えている
もう死んだ路傍で私は
「生きる」について考えている
ゆっくり じっくりと

風はもう去っていったよ

かつて人びとだった石ころたちが
そっと囁き合うのを聞いた


私は考えている
「生きる」について考えている
うつくしく 貧しい
この路傍にて





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2022.8.17